投稿者: YUICHI

  • 富山県を訪れたら観ておきたい鉄道駅|富山地方鉄道、あいの風とやま鉄道、JRなど

    富山県を訪れたら観ておきたい鉄道駅|富山地方鉄道、あいの風とやま鉄道、JRなど

    今回は富山県内で観ておきたい鉄道駅をご紹介します。

    富山県は地方のわりに鉄道路線が多いことで知られており、鉄道王国というニックネームまで付いています。その理由は、富山県はすべての市町村に鉄道駅が存在している国内で唯一の県だからだそう。

    なので、県内のどんな小さな町を訪れてもどこかしらで鉄道駅を見かける機会があります。

    ふらっと電車に乗って小さな駅で降りてみるって、楽しいですよね。観てるとなんだかほっこりしたり、あまりにユニークな姿に思わず写真に収めてみたり…。

    今回の記事で、富山県の観光地はすべて知り尽くしたという皆さんに「鉄道駅を観に行く」という新しい旅のテイストをお伝えできるのではないかと思っているので、ぜひ最後まで記事を読んでいただければと思います!

    鉄道王国富山にはすべての市町村に鉄道駅が?

    冒頭でもお伝えしましたが、富山県はすべての市町村に鉄道駅が存在している国内で唯一の県なのだそうです。

    富山県には10の市、4つの町、1つの村がありますが、本当に県内すべての市町村に鉄道駅があるのでしょうか。富山に生まれ育った、しかも現役通訳案内士の僕が、ちょっと思い起こしてみますね。

    JR富山駅(富山市)JR高岡駅(高岡市)JR小杉駅(射水市)JR氷見駅(氷見市)JR砺波駅(砺波市)あい鉄 石動駅(小矢部市)JR城端駅(南砺市)あい鉄 滑川駅(滑川市)あい鉄 魚津駅(魚津市)あい鉄 黒部駅(黒部市)あい鉄 入善駅(入善町)あい鉄 泊駅(朝日町)地鉄 舟橋駅(舟橋村)地鉄 五百石駅(立山町)地鉄 上市駅(上市町)

    ※ あい鉄はあいの風とやま鉄道の略

    ※ 地鉄は富山地方鉄道の略

    本当だ…!確かにすべての市町村に鉄道駅がありますね。

    でもそれって…市町村が合併したからじゃない?旧市町村単位で見たらどうなん?って声もありそうなのでそちらも調べてみました(笑

    笹津駅(大沢野町)速星駅(婦中町)越中八尾駅(八尾町)上滝駅(大山町)猪谷駅(細入村)なし(山田村)水橋駅(水橋町)

    宇奈月駅(宇奈月町)西新湊駅(新湊市)なし(大島町)大門駅(大門町)なし(下村)福岡駅(福岡町)なし(庄川町)福光駅(福光町)福野駅(福野町)なし(井波町)なし(井口村)なし(平村)なし(上平村)なし(利賀村)

    残念ながら、山がちな南砺市の旧市町村には鉄道駅がないところもありましたね。

    それにしたって、富山県にはかなり田舎の町まで鉄道路線が張り巡らされていることがわかりますね。

    地方のわりに鉄道駅がそれほど多くあれば、一見何にもなさそうな片田舎にも新たな発見があるのではないでしょうか。

    それでは、以下に富山県内の訪れて楽しい鉄道駅を紹介していきます!

    猪谷駅(富山市細入地区)|かつて富山藩の関所が置かれた歴史上の要衝

    猪谷駅は富山市の南端である細入地区にあり、岐阜県との県境に位置している駅です。

    山に囲まれながらも威風堂々とした佇まいです。

    岐阜県に入るとJR東海になるので、富山県の南側におけるJR西日本管轄最後の駅ですね。

    猪谷を超えると列車は飛騨山脈の中に入っていきます。

    駅構内は意外に広く、これから飛騨の山々を抜けていくであろう旅人にとっては頼もしく感じられる駅ですね。

    猪谷駅を出て3分ほど歩くと、猪谷関所跡という文化施設があります。

    ここを訪れると富山藩や飛騨の人々が苦労して関所を越えてきたエピソードなどがうかがえます。

    東岩瀬駅(富山市岩瀬地区)|昔ながらの駅舎には国鉄時代の面影が

    現在、東岩瀬駅は富山地方鉄道の運営による路面電車の駅として使われています。

    元々は国鉄(現・JR)富山港線の駅でした。現地の人のお話によると、昭和時代は東岩瀬駅を中心に大きな商店街が広がっており大変にぎやかだったそうですね。駅舎は外観のみ、活気に満ち溢れた昭和の雰囲気を残しています。

    東岩瀬駅から5分ほど歩いたところに「昭和レトロ館 吾楽俊(ごらくしゅん)」という建物が。オーナーさんが趣味で収集した昭和グッズの数々を見せていただけます。

    中滑川駅(滑川市)|ホタルイカのゆるキャラが出迎えてくれるほっこり系の駅

    なぜか僕は冬にこの駅を訪れました。

    絶え間なく雪が降り積もる駅のホームにはなんとホタルイカのゆるキャラが!

    極寒の1月にこんなゆるキャラのお出迎えはなんだかほっこりします。

    中滑川の駅周辺や駅構内にはかつてそこに大きな中心商店街が存在したことを思わせます。しかし、現在はコンビニとクレープのお店がポツンと建っているだけ…。失われた時代のもの悲しさが感じられます。

    駅から10分程度歩くと、川を挟んで昔ながらの住宅街が広がっています。

    雪の降る北陸の町として、映画のワンシーンにもなりそうですね。ちょっと寒いけど真冬に歩いて散策してみるのもいいかもしれません。

    新富山駅口(富山市)|様々な可能性を秘めたあいの風鉄道の新駅

    最後に2022年3月に開業した新駅の紹介です。線路を挟んで東口と西口があり、跨線橋でつながれています。上空から観るとかっこいい駅舎なのでしょうね。

    駅周辺にはだだっ広い空間が広がっています。

    ここでは街の開発が進められており、住宅街やスーパー、クリニックなどが誘致される予定です。富山駅から約4キロの距離にあり通勤・通学に便利な駅として将来的に利用が期待されますね。

    まとめ

    今回は富山県内で訪れてみたい小さな鉄道駅を少し紹介させていただきました。いかがでしたか?

    県外から富山を訪れた観光客の皆さんは、きっと富山の魅力に魅せられて色んなところを訪れてみたいと考えていると思います。

    地方のわりに鉄道路線が充実している富山県では、ほのぼのした小さな駅、ユニークな姿の駅などじつに様々な鉄道駅が観られます。

    ぜひ富山観光の次のステップとして、ちょっとマニア目線で鉄道駅を観に行く旅を企画してみてはいかがでしょうか?今回ご紹介した魅力的な駅はほんの一部です。今後さらに調査を進めて他の駅も追加していきますので、ご期待ください。

    それでは、最後まで記事を読んでいただきありがとうございました!

  • ヤマタノオロチ伝説(神話)|妖怪の正体と富山の洪水の関係は?

    ヤマタノオロチ伝説(神話)|妖怪の正体と富山の洪水の関係は?

    今回の記事では、日本神話に登場する怪物「ヤマタノオロチ」と富山の意外な関係について書いていきます。

    ヤマタノオロチといえば、日本最古の書物である古事記に登場するほか、RPGゲームなどでも敵キャラやボスキャラとしても登場するので、皆さんもよく知っている怪物ではないでしょうか。

    そんなゲームやら神話やらに登場する怪物が富山と何の関係があるの?って皆さんは思うかもしれませんね。

    詳しい話は後でするとして、古事記に登場する人物、怪物、出来事などには日本人が古来から持っている死生観や世界観などが色濃く反映されており、日本人が進むべき道や生きるための知恵を得ることができると言われています。

    古事記は主に出雲神話や大和政権について記述されていますが、富山のような地方もわずかですが登場します。

    富山について書かれたものには、古事記のほかに風土記、万葉集などがありますが、それらに記述された事柄、伝説、昔話などを知ったうえで、富山を歩くとひとり旅がさらに楽しいものになりますよ。

    なので、旅行前や新幹線の中で、この記事に目を通していただければ嬉しいです!

    古事記に見られるヤマタノオロチの特徴

    八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)について、 古事記には以下のような記述があります。

    「高志と申すところに八俣の大蛇という怪物がおりまして、これが毎年のようにまいっては、娘を一人ずつ餌食といたします。」

    ーー 中略 ー-

    「この大蛇は目は真っ赤な酸漿のようで、一つの体に、頭が八つ、尾が八つもございます。またその胴体には苔が蒸しており、さらには檜や杉なども生えております。その長さは八つの谷、八つの山峡を這いわたるほどで、その腹を見れば、不断に血が流れだして血膿のようにただれている、まったく恐ろしい怪物でございます。」

    出典:福永武彦 訳 「現代語訳 古事記」

    ヤマタノオロチは、恐ろしい怪物として描写されていますね。しかし、そんな怪物と美しい富山の自然風景と一体どんな関係があるのか…ちょっと興味ありませんか?

    きっと皆さんは、「高志の国ってどこ?日本にそんな地名あったっけ?」と思いますよね。

    ちなみに高志の国というのは越の国とも表記します。なので、「越といえば…昔は越後とか越前とかって地名があったかな〜」って思えれば、何となくイメージがつかめるのではないでしょうか。

    今から約1400年前。日本には天皇を中心とした大和政権という政体がありました。

    その当時、現在の北陸地方は、都の存在した畿内(今の近畿地方)に近い方から順番に「越前」、「越中」、「越後」と呼ばれていました。

    高志の国が厳密に越中つまり富山県指すのかどうかははっきりとした記述がありませんが、少なくともこれらの地名を引き継ぐ、現在の福井、石川、富山、新潟のどこかからやってきたことは間違いなさそうです。

    度重なる自然災害の末、日本人が抱いた自然に対する感情

    日本は南北に細長い国土を持ち、四方を海に囲まれた国です。

    そして世界で有数の災害大国。はるか遠い昔から地震、津波、豪雪、豪雨、台風など数えれば枚挙に暇がありません。

    そのような日本固有の事情から自然災害の多い土地に住む日本人は古来から自然に対する畏怖の念を感じ、そこから超自然的な存在が連想されました。

    穏やかな海や柔らかい陽の光などからは海の神、陽の神のように神格化されました。

    一方で川が氾濫すれば、蛇のような怪物を思い浮かべたり、雷が鳴れば、暴れん坊の神様が怒っているなどと言ってみたり、見えなかったり不可解な自然の現象に出くわした時は鬼が出た!と叫んでいたりしたわけですよね。

    それらのキャラクターが神話や民謡として古事記に反映されたのかもしれませんね。そしてドラクエ、女神転生、パズドラなどのRPGゲームにも登場しましました。

    自然が豊かな富山県は洪水などの災害も多かった。

    ここで富山県の自然環境を思い浮かべてみましょう。

    富山県は立山連峰や飛騨山脈など3000メートル級の山々に囲まれており、富山湾までの距離も近いため、急流河川が多いです。

    現代は土木技術が発達しているため、堤防やダムを作って川の氾濫を防ぐことができますが、昔はどうだったでしょうか…?

    何度も雷や水害に苦しめられてきたはずです。

    きっと、気まぐれに発生する自然現象に襲われて、何度も生死を脅かされてきたのでしょう。

    そんな生活を送る中で、自然を神様に見立てて、お祈りやお祓いなどをする風習が生まれたのだろうと推測できます。

    そしてヤマタノオロチの正体とは

    さて、古事記におけるヤマタノオロチの描写を富山の自然環境に照らし合わせてみましょう。

    富山県東部から富山湾へ流れ込む8つの川はヤマタノオロチの8つの恐ろしい頭を想起させます。

    8つの川はいずれも急流。ヤマタノオロチの獰猛な首の動きが想像できますね。

    立山連峰、毛勝三山、僧ヶ岳など雄大な山はヤマタノオロチの体を思い浮かべます。

    ヒノキやスギの木々も当然のように生い茂っていますから、古事記におけるヤマタノオロチの体の部分の描写とも整合性が取れます。

    富山湾に浮かんで見える太陽は、目が真っ赤な酸漿(ほおずき)に見立てることができます。

    富山湾に沈む西日は季節や気象条件によってはとても大きく見えることがあり、力強さや畏敬の念のようなものを感じ、自分という人間が偉大な大宇宙、大自然の前に無力で小さな存在であることを認識させられます。

    まさに獰猛なヤマタノオロチの目として表現されるにふさわしい情景ではないでしょうか。

    富山県東部で暴れ川と言われていた河川に対する恐怖心から大蛇のようなものを畏れたり信仰対象にしていたことも想像に難くありませんね。

    このように、日本の自然環境を重ね合わせながら、古事記を読み解くと興味深いものが見えてきます。

    皆さんも、ぜひ古事記の中に富山の情景を探してみてくださいね。富山ひとり旅がもっと楽しくなることは間違いありませんよ。

    それでは、最後まで記事をご覧いただき、ありがとうございました!

  • 【富山の売薬産業】なぜ有名?歴史上の話から現在までの歩み

    【富山の売薬産業】なぜ有名?歴史上の話から現在までの歩み

    ENGLISH

    こんにちは。通訳案内士のYUICHIです。

    富山市は歴史的に薬の都として多くの人に知られていますね。

    それにしても、富山の薬はどうして有名なのでしょうか?

    富山の薬は甘くて美味しいから?

    いやいや、薬の評価は食べ物とは違って美味しいとかまずいとかでは決まりませんよね。

    それに、富山に限らずとも、日本には武田薬品工業や塩野義製薬など多くの製薬メーカーがあります。

    明治時代以降の近代化により運送手段や流通網が発達したおかげで、日本の医薬品製造において地域による品質の違いはなくなってきたのではないかと思います。

    しかし、厚生労働省の「薬事工業生産動態統計調査」によると、

    富山県の医薬品生産金額は621,845,000,000円。

    東京の605,814,000,000円、大阪の605,814,000,000円を抜いて全国一位です。

    「くすりのとやま」って今でも健在なのですね。

    では、なぜ富山が現代においても医薬品業界で名をとどろかせているのでしょうか?

    富山の薬売りビジネスの始まりは江戸時代にあった

    富山の薬売りは江戸時代初期に始まりました。

    数こそ少なくなったものの、今でも置き薬の売薬さんが全国を売り歩いています。

    現代に至るまで約400年。薬の製造・販売は、富山の地域産業として長い歴史があります。

    それでは、江戸時代にどのような出来事があって富山の薬売りビジネスにつながったのでしょうか?

    富山市は江戸時代に富山藩と呼ばれており、西で隣接している加賀藩から分割されて成立しました。

    当時、富山藩があったエリアは未開拓の土地が多く、藩の財政は困窮していたようです。

    そこで富山藩の当時のお殿様、前田正甫(まえだ まさとし)公はどうにかして藩の財政を豊かにしようと試行錯誤していました。

    ところで、正甫公は体が病弱だったようで、薬に対する興味が他の人よりも強かったといいます。彼は九州の有名な医師を招いて、反魂丹という何にでも(特に腹痛に)効く薬を調合してもらい、肌身離さず持ち歩いていたそうです。

    これだけを聞くと、単に薬好きな(ちょっと語弊がありますが…)お殿様というイメージしかありませんよね。

    じつは、富山の薬を有名にしたエピソードがあります。このエピソードが江戸時代より、富山がくすりの町として知られる原点と言えるでしょう。

    江戸城で起きたある事件がきっかけで富山の薬が有名に?

    当時は徳川幕府を中心とした封建時代。

    歳の暮れには、全国の大名がの江戸城に集まります。公方様とよばれる武家の頭領である徳川将軍家に歳暮の挨拶をするためです。

    諸大名と同じく、正甫公も将軍に拝謁するために江戸城を訪れていました。

    正甫公が、いつものように江戸城の大広間で将軍への拝謁の時間を待っていると…

    「あ~腹が痛い!」と、拝謁の間の外から呻く声が聞こえてきました。

    外に出てみると、昔から親しい間柄の陸奥国三春藩主の秋田輝季(あきた てるすえ)が腹を抑えて苦しそうにしていました。

    正甫公はすぐさま座を離れ、輝季氏の元へ駆け寄って、懐の印籠の中に納めていた反魂丹を秋田氏に飲ませました。

    するとたちまちのうちに腹の調子が良くなり、顔色も元に戻っていったそうです。

    この出来事があっという間に江戸城内に広がり、諸大名たちから反魂丹を売ってほしいと依頼が殺到。さらには好評を得た反魂丹は全国の諸大名によって全国各地に言い伝えられたとのこと。

    これが富山の薬が有名になるきっかけになったエピソードです。

    富山の薬売りビジネスが確立!当時の画期的な商法は現代ビジネスに引き継がれた?

    この出来事以降、正甫公はますます薬の調合や薬売りビジネスに没頭するようになります。

    富山藩は、山林地域が少なく、鉱物資源に恵まれませんでした。そんな富山藩にとって、薬の販路開拓する事は重要な政策。商人には売薬に課税しないことを決め、より一層薬売りビジネスに励む商人、いわゆる売薬さんが増えて行ったのです。

    富山の人々は、元々足腰が強く、粘り強い性格の人が多いです。

    そして商魂もたくましい。富山の薬売りはいよいよ全国行脚を開始。

    米俵一俵にも匹敵する重い薬箱を抱えながら薩摩(鹿児島県)から東北まで薬を売りに出かけていきました。

    ところで、世の中には「縦横無尽」「以心伝心」「温故知新」など様々な四字熟語が聞かれますが、皆さんは「先用後利(せんようこうり)」と言う四字熟語を知っていますか?

    実は、この言葉が富山の薬売りビジネススタイルを表しています。

    この四字熟語は「先に(お客様に)使ってもらって後で代金を回収する」という意味です。以下が、先用後利の流れです。

    1. 売薬さんが何種類もの薬が入った柳行李(やなぎごおり)という大きな薬箱を各家庭に置いていく。
    2. 家の人は必要な分だけ薬箱から薬を取り出して使用する。
    3. 売薬さんは、毎年定期的に各家庭を訪問し、どの薬をどれだけ使ったかチェック。そして、使った分だけを謝礼金として代金を頂戴する。未使用の薬は回収する。

    これが先用後利のシステムです。今のクレジットカードのシステムによく似ていますよね。

    薬種商から幅広い産業へ進出

    江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した北前船という貿易船のおかげで、富山の薬種商はさらに発展を続けることになります。

    薬種商で財をなした人々は富山県における他の産業育成にも貢献しました。金岡家もそのひとつであり、発電、砂防工事、金融など様々な分野へ薬種商で得られた資本を投入していきました。じつは、IT関係で有名なインテック社も金岡家による設立です。

    富山県は、東京、大阪、名古屋など大都市圏から距離が離れているにもかかわらず、医薬品をはじめ、アルミ、製紙、プラスチック、ITなど多くの産業が育っています。

    産業があるということは雇用機会にも恵まれているということですね。

    売薬さんのイメージは富山の県民性そのもの?

    売薬さんは、30キロもする大きな薬箱を担いで野を越え山を越え、全国にあるどんな寒村でも僻地でも訪ねて行ったそうです。

    全国いろんな場所で聴ける土産話を携えて…。

    他県のご年配の方に富山の売薬さんの印象を聞くと、とても忍耐強く質実剛健、そして話上手だったようです。

    僕自身も、歩くことは好きなので、旅好きな県民性を受け継いでいるのかもしれませんね。

    富山のくすりが有名なワケ まとめ

    今回の読み物はいかがでしたか?

    「くすりの富山」として知られているのには、江戸時代から伝わる前田正甫公のエピソードや質実剛健な越中商人の気質が根底にあります。

    富山の薬には富山人の魂が込められているということですね。そういった知識を持って、富山の街を訪れると楽しみが増えると思いますよ。

    それでは、最後まで記事をご覧いただき、ありがとうございました。

  • 岩瀬(富山)観光 まとめ|所要時間は?散歩コースやおすすめランチも紹介

    岩瀬(富山)観光 まとめ|所要時間は?散歩コースやおすすめランチも紹介

    富山市岩瀬地区は「富岩運河環水公園」や「富山城址公園」、「富山市ガラス美術館」などと並んで富山市の主要観光スポットです。

    岩瀬は富山湾に面した港町。

    江戸時代初期より岩瀬は北前船を使った交易で財をなした商人の集まる町として栄えました。

    古き良き時代の栄華が感じられ、しっとりとした雰囲気のある町です。

    岩瀬観光は移動と散策を含めて所要時間3時間あればゆっくり楽しめます。

    富山駅から岩瀬までは路面電車と徒歩で35分ほどで到着します。食事と散策を含めて3時間程度時間があれば充分に立ち寄っていただけるコースです。

    富山市のまちなかエリアを制覇した人は、岩瀬にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。きっと昔の栄華を誇った町の姿をご覧いただけると思います。

    岩瀬へのアクセス|富山駅から路面電車で25分で富山湾の港町へ

    岩瀬へは富山駅の路面電車⑤番のりばまたは⑧番のりばから出発します。

    ⑤番に乗っても⑧番に乗っても問題ありません。富山駅始発電車か、他の駅から来た電車かの違いです。いずれも「岩瀬浜駅」へ向かいます。

    25分で終着駅「岩瀬浜駅」で下車、そこから10分ほど歩くと岩瀬の港町に到着します。


    路面電車1日フリーきっぷ

    富山市まちなかと岩瀬の両方を訪れる人は路面電車1日フリーきっぷがお得です。

    詳しくは以下の記事をご覧ください。

    https://walk-toyama.com/2022/03/24/free-pass/

    岩瀬は北前船の交易で栄えた廻船問屋の港町

    富山市岩瀬地区は、北前船を使った交易で栄えた港町です。

    北前船とは、江戸時代から明治時代初期にかけて、大坂と北海道のあいだを、商品を売り買いしながら日本海を行き来していた貿易船のことです。

    北海道から日本海の海上ルートを経由し、商都・大坂へ向かうまでには、松前(北海道)、酒田(山形県)、新潟、能登、敦賀、米子など数多くの港町がありました。それらの港町を結ぶ海上ルートを利用して、当時の日本国内では様々な商品が売り買いされていました。

    たとえば、北海道からはニシンや昆布などの海産物が、京や大坂など上方の都市からは砂糖や織物が、能登や屋久島からはスギなどの木材が日本各地へ運ばれていきました。

    北前船は国を豊かにしてくれる重要な存在だったのですね。そして、岩瀬もまた、北前船が寄港する日本海側の重要な港町だったのです。

    平成時代のバブル経済崩壊をきっかけに町は活力を失っていましたが、現在(令和)は多くの観光客を魅了する観光地として少しずつ生まれ変わろうとしています。

    大町新川町通り|古き良き時代の日本の姿を映し出す町並み

    港町・岩瀬には、明治時代に北前船の交易で栄えた廻船問屋の旧邸宅が数多く残っています。かつての港町として栄えた町の繁栄ぶりがうかがえます。

    廻船問屋とは今でいうところの貿易商社です。江戸時代、明治時代の商人たちは北前船を使って、北海道では昆布を積み、大坂では西日本各地から集められた年貢米を積み、需要のある場所で売りさばいていました。

    岩瀬港は日本列島の真ん中に位置しており、少ない燃料で多くの交易ができました。なるほど、廻船問屋が北前船の交易で大きな利益が出ていたとしても不思議じゃありませんよね。

    つまり岩瀬は、全国から選りすぐりの商品を集め、商品として流通させるための重要な寄港地だったわけです。

    代表的な廻船問屋には森家馬場家があり、かつての邸宅は見学することができます。

    INFORMATION 森家
    開館時間 9:00-17:00
    〒931-8358 富山市東岩瀬町108
    TEL 076-437-8960
    INFORMATION 馬場家
    開館時間 9:00-17:00
    〒931-8358 富山市東岩瀬町108
    TEL 076-456-7815

    北前船が富山にもたらした食文化とは?

    北海道の近海は、江戸時代から昆布やワカメなど良質な海産物に恵まれていました。

    富山商人たちは、豊富な海の幸を求め、北前船に乗って北海道へ旅立っていきました。

    北海道の地元民たちが見向きもしなかった、あるいは危険が伴うため避けていた海域へも勇敢に船を前に進めて海の中に生い茂っている海藻を集めていたそうです。

    富山商人は当時から商魂たくましかったのですね!

    北海道から大量に入ってきた昆布は、岩瀬や伏木などの寄港地を経由して県内の市場に運ばれました。

    越中富山には昆布が一般的に流通するようになり、「昆布締め」という富山県固有の食文化が生まれました。

    「昆布締め」とは刺身を昆布で挟んだ保存食のことです。「昆布締め」についてはコチラの記事もご覧ください。

    刺身の持ちが良くなるだけでなく、刺身の水分を昆布が吸うことで刺身の身が引き締まり、逆に昆布の旨味が刺身にしみ込むことでより深い味わいが楽しめます。

    昆布を使った料理には他にも、昆布(とろろ)をまぶしたおにぎりがあります。

    ふっくらとしたご飯にやわらかい酸味がのっており、一口食べるとやさしい味わいが感じられるはずです。

    岩瀬の自慢は新鮮な白えび料理

    岩瀬港は白えびが水揚げされる港のひとつです。

    そのため岩瀬では、白えびが様々な形態の料理として登場します。

    以下は白えび料理を提供する岩瀬の代表的な飲食店です。

    ■ 食堂 天保
    「白えびの海鮮丼」、「白えびコロッケ」、「白えびタンメン」など、白えびを使ったバリエーション豊富なメニューが特徴の老舗食堂です。

    INFORMATION 食堂 天保
    営業時間 11:00-14:00 / 17:00-21:00 (定休日:水曜日、第1、第3木曜日)
    〒931-8347 富山市岩瀬土場町459
    TEL 076-438-0038

    ■ 天よし
    大町新川通りの入り口から少し離れた、富岩運河のそばにある天ぷら専門の飲食店です。おすすめは「白えびのかき揚げ定食」。揚げ物なので白いご飯がほしくなるので、定食がちょうどいいでしょう。

    香ばしい白えびにふっくらと炊き上がったご飯の組み合わせは最高のコラボレーションです。

    INFORMATION 天よし
    営業時間 17:00-22:00(月、火、木、金)、11:30-14:00 / 17:00-22:00(土、日)(定休日:水)
    〒931-8367 富山市岩瀬松原町62-1
    TEL 076-437-7084
    

    ■ 岩瀬さんたふぇ
    白えびを洋食で味わいたい人におすすめ。白えびの香ばしい香りはパスタにも絶妙に絡みます。

    INFORMATION 岩瀬さんたふぇ
    営業時間 9:30-17:00 (定休日:月)
    〒931-8378 富山市岩瀬天神町48 岩瀬カナル会館
    TEL 076-438-8521

    ■ 沙石(させき)

    桝田酒造店は、富山県を代表する造り酒屋です。富山県の地酒を試してみたいなら、まずは沙石を訪れましょう。

    (株)桝田酒造店の銘酒「満寿泉」の豊富なラインナップを飲み比べできます。

    INFORMATION (株)桝田酒造店 沙石(させき)
    営業時間 10:00-17:00(定休日:火)
    〒931-8356 富山市岩瀬大町93
    TEL 080-2962-6683

    「沙石」について詳細は以下の記事もご覧ください↓

    富山市岩瀬地区 まとめ

    今回のご案内はいかがでしたか?

    富山湾の港町・岩瀬は、江戸時代から明治時代初期にかけて開花した北前船の交易の地です。森家や馬場家などかつて北前船を使った交易で栄えた廻船問屋の邸宅から、往年の繁栄ぶりが偲ばれます。

    富山市がきれいな公園やスタイリッシュな建物が立ち並ぶおしゃれな街なのに対し、岩瀬は古き良き日本のしっとりとした雰囲気が魅力的な港町です。

    富山で半日ほど観光する予定なら、ぜひ岩瀬地区を訪れてみてください。

    それでは、最後まで記事をご覧いただきありがとうございました!

  • 【富山市まちなか】観光&グルメ まとめ|路面電車でぐるっと一周も?

    【富山市まちなか】観光&グルメ まとめ|路面電車でぐるっと一周も?

    こんにちは。全国通訳案内士のYUICHIです。富山県の観光地といえば、立山黒部アルペンルートや黒部峡谷鉄道などが有名ですよね。しかし、県庁所在地である富山市も負けてはいませんよ。

    富山市はくすりの町、ガラス工芸の町として知られており、それらにちなんだ観光スポットが目白押しなのです。富山市に観光でいらっしゃるご予定のある方で、以下のように考えていらっしゃる方には読んでみる価値アリの内容です。

    • 富山駅周辺をを1~3時間で観光してみたい
    • 富山ならではの食事を楽しみたい

    富山市まちなかエリアを観光するなら

    富山市には主に3つの特徴があります。

    • 江戸時代から続く売薬の町
    • 売薬に由来したガラス工芸の町
    • 立山連峰を仰ぐ特等席

    現在の富山市は江戸藩政時代の「富山藩」とほぼ同じ地域です。そして富山藩の中心には領主前田家の居城である富山城がありました。

    富山市まちなかエリアは富山城の周辺に広がっています。2代富山藩主・前田正甫(まさとし)公が領民に薬の製造、販売を奨励したことにより売薬が発展しました。

    明治維新以降、薬を販売するときに容器が必要になったことから、ガラスの薬瓶の製造も行われていました。このことがきっかけで富山でガラス工芸が盛んになったと言われています。

    富山市の観光に立山連峰は欠かせない?

    富山市は立山連峰西側に位置しており、立山連峰眺められる場所が数多くあるので「立山連峰を仰ぐ特等席」と呼ばれています。

    富山市であれば、標高3,000メートル以上にも及ぶ北アルプスの山々が連なる絶景を見渡すことができます。

    以下に、富山市観光に欠かせない絶景スポットを3ヶ所ご紹介しますね。

    神通川を跨ぐ富山大橋

    神通川を跨ぐ富山大橋

    富山大橋は富山市を流れる二大河川のひとつである神通川に架かっている橋です。路面電車富山駅④番のりばから「富山大学前行き」の路面電車に乗車し、「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前」で下車します。

    富岩運河 環水公園

    富岩運河環水公園

    富岩運河環水公園はもともと船溜まりだった場所を富山市が整備してできた水辺の空間です。富山駅北に位置していますが、周辺に高い建物が無いおかげで、美しい公園と立山連峰の共演が観られます。

    呉羽山

    呉羽丘陵

    富山市の観光には呉羽山も欠かせません。呉羽山は富山駅から西に約2キロメートルの位置にある標高76.8メートルの丘陵地帯です。呉羽山では雄大な立山連峰をフルスケールで観られます。

    また、夜になると富山市街地の夜景も見られるので地元民のあいだでも人気のお立ち寄りスポットになっています。

    富山市まちなかエリア 【観光スポット】

    富山市には芸術文化が薫る美術館や文化施設が数多くあります。

    富山市ガラス美術館

    「富山市ガラス美術館」は、平成27年、旧富山大和デパートの跡地に建てられた美術館です。

    ガラス、アルミ、大理石で移ろう立山の色を表現した外壁、県産木材を使ってぬくもりのある空間を提供している内装は、美術館の建物全体でガラスの街・富山市を表現しているといえるでしょう。

    池田屋安兵衛商店

    池田屋安兵衛商店は、くすりの街・富山市の代表的な老舗の薬屋さんです。

    和漢薬の考え方に基づいた越中反魂丹という胃腸薬を製造販売しています。

    池田屋安兵衛商店では、店員さんから和漢薬の歴史や効能について学べるのがいいですね。

    高志の国文学館

    「高志の国文学館」は富山の文芸・文学の発信拠点です。

    富山県水墨美術館

    「富山県水墨美術館」は近代以降の水墨画を中心に紹介している美術館です。

    水墨画のみならず、建物そのものや五福山水苑という庭園など日本の美を追求した佇まいが訪れた人の目を惹きます。

    富山市まちなかエリアの歩き方

    これまでにご説明したとおり、富山市には豊かな自然景観のほかにも、江戸藩政時代から続く文化産業にちなんだ観光スポットがたくさんあります。

    しかし、そんなに多くの観光スポットをたったの3時間で観光できるのかな?って不安になりますよね。

    でも大丈夫。富山市まちなかエリア(富山駅南側)は、路面電車に乗れば約3時間で周遊できます。

    以下にまちなかエリアの観光スポットと所要時間(徒歩/路面電車+徒歩)を記載したので参考にしてみてください。

    観光スポット名富山駅からの所要時間
    徒歩路面電車+徒歩
    富山城址公園15分5~6分
    路面電車
    ③番のりばから乗車
    富山市ガラス美術館20分10分
    路面電車
    ①番のりばから乗車
    池田屋安兵衛商店23分13分
    路面電車
    ①番のりばから乗車
    富山市役所 展望塔10分8分
    富山県水墨美術館30分25分
    富山駅北口 路線バス④番のりばから乗車

    以下のサービスを使って、まちなかエリアを散策してみるのもお勧めです。

    https://walk-toyama.com/2022/03/24/free-pass/”>路面電車1日フリーきっぷ今回ご紹介した富山市まちなかエリアのほか、岩瀬を観光したい方であればがお得です。
    ガイドサービス富山と富山の地酒をこよなく愛するいしもんが、自信を持って富山のまちなかをガイドします!

    富山市まちなかエリアで富山料理を楽しもう

    富山県の中央に位置する富山市では、富山湾沿岸の漁港でとれた新鮮な魚を食べられるほか、ラーメンやカレーなどのB級グルメも充実しています。

    富山の海鮮料理

    富山市で手軽に美味しい魚を食べるなら、富山駅周辺の飲食店がおすすめ。

    富山駅南口を出て右手に見えるMAROOT(マルート)という商業施設の中には「富山湾食堂」という食券を買って食べるスタイルの飲食店が、富山駅東側ののれん横丁の一角には「魚どん亭」という居酒屋風の飲食店があります。

    腕利きの料理人による本格的な富山料理を食べたい人は、富山駅南口正面に見えるCICビル南側の路地がお勧めです。

    富山のラーメン


    富山市のラーメンといえば、ブラックラーメンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

    しかし富山のラーメンはブラックばかりではありません。富山は全国有数のラーメン激戦区。味噌ラーメンや台湾ラーメンなども地元の人たちに大変人気があります。

    富山のカレーライス

    富山には「やさたまカレー」というのご当地カレーライスがあります。やさたまというのは、炒めた野菜(玉ねぎ、きのこなど)をオムレツに閉じたものです。富山市内にはやさたまカレーライスを食べられるお店が3店舗ほどあります。

    富山市まちなか観光 まとめ

    今回は富山市まちなかエリアのおすすめ観光スポットとご当地グルメを紹介しました。

    北陸の観光地といえば金沢や立山黒部アルペンルートなどが有名です。だから、富山市ってあまり観光地のイメージがないかもしれませんね。

    しかし、富山市まちなかエリアには本当に何もないのでしょうか?

    富山市まちなかエリアの散策は、北陸や飛騨を周遊している人、富山を出張で訪れている人にもおすすめでき、仕事の合間や乗り換えまでの暇つぶしにも最適な観光スポットがあります。

    金沢、高山、立山黒部アルペンルートなどの人気観光地も魅力的ですが、少し時間を割いて、富山市まちなかエリアも観光してみてはいかがでしょうか。

    それでは。最後までご覧いただきありがとうございました。