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前田家(加賀)から始まった富山の歴史と文化

YUICHI

富山県は石川県と同じく北陸地方に属します。北陸といえば、加賀百万石の石川県が歴史的に有名ですね。一方で富山の歴史に関してはあまり知られていないのではないのでしょうか?

今回の記事では、そんなモヤッとしている富山の歴史について、お隣の石川県についても絡めてお話しします。



前田家(加賀藩)の繁栄による富山の歴史と文化のはじまり

富山県はかつて越中という地名でした。

そして、お隣石川県の古い地名は加賀と能登。これらは前田家が治める地域でした。加賀百万石という言葉は今でもよく耳にしますよね。

前田家は尾張を治めていた戦国大名の織田信長の家臣である前田利家を始祖とします。

豊臣政権の時代に北陸へ赴き、江戸時代には加賀(石川県)、能登(石川県)、越中(富山県) の3か国を治めていました。

加賀藩3代目藩主前田利常が隠居する際に、幕府の許可を得て分割されて藩領が利常の次男・利次に与えられた富山藩と三男・利治に与えられた大聖寺藩(石川県加賀市)です。ちなみに富山藩の領域は現在の富山市とほぼ同じと言われています。

そして今日路面電車が行き交う富山の街はかつて富山藩の中心として栄えた城下町だったのです。

実は、富山城自体は前田利家が北陸を治めていた時代よりも古い時代から存在していました。1543年に神保長織という戦国武将によって築城されたというのが定説であり、明治維新後の1871年の廃藩置県により廃城になりました。そして戦後の1954年に鉄筋コンクリートの模擬天守として再建されました。

それが今日僕らが目にしている富山城です。



富山藩のお殿様「くすりのとやま」を全国に広める

ところで富山藩で有名なお殿様を知っていますか?

2代目藩主の前田正甫(まさとし)公です。

加賀藩の始祖である前田利家のお孫さんにあたります。

このお殿様は藩の財政が貧弱なことを憂い、新田開発や治水工事を行うなど数々の業績を残した名君として知られていました。

一方で、彼は30代以降病弱だった自分の体質を改善したいと考え、一生懸命薬の研究に励み「越中反魂丹」を完成させました。彼が肌身離さず愛用していた反魂丹を使って突然の腹痛に襲われた大名を救ったというエピソードはとても有名です。

このエピソードについて詳しくは以下の記事をご覧ください。

https://walk-toyama.com/2022/02/03/baiyaku-san/

その腹痛事件以降、瞬く間に越中富山の薬の評判が全国に知られるようになったそうです。そこで前田正甫は城下の商人たちに薬のビジネスを奨励しました。富山藩の外に出て自由に商売することを許可する「他領商売勝手」というお触れを発布しました。これによって富山の売薬商人たちは全国を津々浦々行商に繰り出し始めました。

これが「くすりのとやま」が全国で知られるようになった経緯です。



加賀前田家の伝統が色濃く残る富山 まとめ

今回の記事はいかがでしたか?

江戸時代以降の北陸の歴史と文化は、豊臣政権時代に加賀へ大名として赴任してきた前田利家公の頃に端を発しています。

加賀前田家の歴史についてもっと学び、北陸富山の地に散りばめられた歴史の趣を見つけるひとり旅をしてみてはいかがでしょうか。

それでは、最後まで読んでいただいてありがとうございました!

 

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著者プロフィール
YUICHI
YUICHI
全国通訳案内士
富山県富山市生まれ。観光庁認定英語通訳案内士。
愛知県の航空機関連メーカーで務めたあと、全国通訳案内士国家資格を取得。通訳ガイドとして、訪日外国人の観光ガイドを主に富山、石川、岐阜の観光名所・史跡を案内する。近年はHTML/CSSやPHP、Photoshopなどを使ってWEB制作にも携わっている。趣味はウォーキング、温泉、読書、料理など。

「せっかく富山に来たのなら、たくさん楽しんでいってくださいね!」
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