氷見 網元の家【濱元家】|富山が誇る定置網漁名家の歴史と栄華を知る
こんにちは。全国通訳案内士のYUICHIです。
先日富山県の通訳案内士研修に参加したとき、富山県氷見市にある、定置網漁の網元の家・濱元家を訪れました。
定置網漁とは、追いかけた魚を余すところなく捕獲する底引き網漁や巻き網漁とは違い、網の中に集まってくる魚だけを捕獲する自然にやさしい漁法です。
濱元家は、そんな定置網漁の盛んな氷見を代表する網元の名家です。
実は、濱元家は見学もできます。今のところ一回の受け入れ人数は2〜10名までなので、ひとり旅の方は残念ながら入れませんが、氷見の穴場的な観光スポットとしてお勧めしたいと思います!
前田利家の書状に記されていた氷見網元の史実
網元と言われても、どのようなお家柄なのか、現代人として生活している我々にはピンときませんよね。
濱元家に関する史実は安土桃山時代末期の書物に見られます。
前田家藩祖・前田利家が記した「塩鰤上納申し付け状」には、氷見のぶりを京都に送るよう命じたと記されていました。
それ以来、濱元家は江戸時代から今日に至るまで、氷見で漁業を営んできました。
なんと現在の当主は17代目になります。
濱元家では、長い歴史に裏打ちされた漁師の誇りや技術を感じられそうですね。
濱元家のお屋敷を見学
それでは、濱元家の大きなお屋敷を見ていきましょう。
現在の建物は大正時代に豊漁で財を成した14代目四郎三郎が建て直したものです。
お屋敷の玄関からお邪魔すると、約20メートルの土間があり、それに沿って障子が並んでいました。
間取りは広間、仏間、床間、座敷、茶室などで構成されています。
広間には飛騨地方や五箇山で見られる囲炉裏が設置されており、ノスタルジックな雰囲気がありますね。
部屋の境界である襖の上には、県内の立派なお屋敷によく見られる井波彫刻の欄間が見られます。
なんとこちらは井波彫刻の代わりに絹を生地にして描かれたぶりの絵が!
井桁の梁組は輪島塗が施されており、下から見ても上から見ても圧巻です!
今回、座敷ではお茶が振る舞われました。
こちらは味噌蔵。こんな大きな設備を使って、いったいどれくらいの人が味噌を消費していたのでしょうか。
濱元家 まとめ
今回は氷見漁業において、中心的な役割を担ってこられた網元の家である濱元家のお屋敷をご紹介しました。
天然の生け簀と呼ばれる富山湾ではなんと500種類以上の魚が取れます。
とりわけ氷見市は漁業の盛んな場所で、グルメ志向の方にはとても魅力的な観光地といえます。
濱元家の大きなお屋敷は、まさに網元が漁業を通して財を成してこられた結果であると言えるでしょう。
皆さんも、氷見の濱元にある大きなお屋敷をご覧になって、安土桃山時代末期から続く氷見の漁業の繁栄に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
それでは、また!