富山城址公園の見どころ
搦手石垣
「松川遊覧船」の受付場所である松川茶屋から南へ20mほど行った場所にある石垣です。石垣の上と下では石の積み方が異なっているのが分かるでしょうか。下側は形の整った小さな花崗岩が使われています。黄色い線の上側は戦後に積み直したもので、下とは異なる積み方になっています。石の積み方から時代の違いを読み取れるのが面白いですね。
千歳御門
千歳御門は、南へ進むと国道41号線につながる「城址大通り」に面した門です。富山城で唯一現存する千歳御殿の一部です。この門を抜けるとかつて本丸が存在した場所、現在の富山城(郷土博物館)へ辿り着きます。
富山城天守(富山市郷土博物館)
富山城址公園ではお城(天守)を観ることができます。しかし、お城とは言っても戦後に再建されたレプリカで、現在は「富山市郷土博物館」として運営されている博物館です。郷土博物館の中では越中国や富山藩について詳しいことを学ぶことができます。
鉄門石垣の角石に刻まれた3つの刻印
鉄門石垣には星型の刻印が刻まれた角石が3つあります。星型は陰陽道において魔除けの記号とされています。これらの角石は悪霊が侵入すると考えられていた本丸の南西に配置されています。
富山藩2代目藩主 前田正甫公の像
富山城天守の北側には、お城に向き合う形で2代目富山藩主 前田正甫公の像を拝めます。じつは前田正甫公こそが富山藩を「薬都」として全国に知らしめたお殿様です。お顔を拝見すると、まじめで誠実そうな印象があります。もしかしたら質実剛健な富山市民のイメージは前田正甫公がオリジナルなのかもしれません。
松川七橋のひとつ景雲橋
富山城址公園の広場から北の庭園や松川へ繋ぐ橋。池の上にある橋で、鯉が泳いでいます。
松川七橋のひとつ 七十二峰橋
富山城址公園を北に松川という川があります。七十二峰橋は松川に掛かっている橋です。橋にガラス細工が嵌め込まれているところが富山らしいです。天気が良ければ立山連峰を拝むこともできます。
鏡石
鏡石は城主の権威を示すためのものです。富山城の鏡石は高さ3.65m、幅2.05m、重さ約6tもあります。1605年に加賀藩初代藩主 前田利長 が設置したのですが、1661年頃に富山藩初代藩主 前田利次 が積み直したと考えられています。一つの大きな石を二つに割り取って、上下を逆にした状態で鉄門石垣の両側に設置されています。
大手門の位置を示すプレート
大手門は、三の丸の南辺中央あたり(現在の市民プラザ付近)に存在したようです。市民プラザ周辺の発掘作業で4段以上の石垣が見つかったことから、大手門の場所が特定できました。